亀岡市議会議員すだ議員Web 政策研究・教育 16.06賛成討論
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平成16年6月定例会賛成討論

(◆隅田盛和 議員)
 まず、「教育基本法改悪に対して反対」と主張されている方に、言葉の問題について一言いわせていただきたいと思います。
 民主主義はなにより議論を重ねることが重要であります。議論をする上において、様々な主張があり方向性が出てくるわけでありますが、自分たちの主張と方向性が違うからといって「悪」という言葉を使われるのは、議論に参加していない大多数国民に対して、予断と偏見を与えるものでありまして、正常な議論を重ねる観点からは、いかがなものかと率直に思うわけであります。
 改正とはまちがいや不十分な点を直して、よくすることでありますが、混乱しているものをきちんと整理し直すのが本義でありまして、「正」「悪」の問題ではありません。何が権力かという考察は横におきますが、権力は悪で、抵抗するものが正という、一見わかりやいすけれど、偏った思考が底流にあるのではないかと考えてしまうのであります。
 子どもを一人前の人間として育てるためには、何を議論しなければならないかを虚心坦懐、議論を尽くすことこそが必要と思う次第であります。

 それでは、亀岡創生会議を代表しまして、教育基本法の早期改正を求める意見書について賛成の立場で討論を行います。

 先ず、教育基本法はそのまま国民の心を拘束するものではないことを申し上げておきます。基本法は、上位の憲法を受けて下位の法律、計画、指導要領などを策定するうえにおいて拘束力をもち、それらの指針となるものであります。すなわち、最上位法の憲法が、第19条において「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と思想良心の自由を保証しておりますので、憲法第98条「最高法規」の条文を持ち出すまでもなく、下位法は法理論的にこれを逸脱することは出来ないのであります。従って、教育基本法がどのような文言になろうとも、憲法を超えた意味を持ち得ないことは、この議論をする前提であります。

 今の教育基本法は非常に優れた法律でありますが、普遍的な法律などというものは存在しないのであります。法律は国や社会、国民を規律するものでありますから、その時代の背景を無視しては成り立ち得ません。
 事実、昭和22年3月31日に施行された今の教育基本法は、GHQによる戦後政策、ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラムによって、「精神的武装解除」という極めて政治的な背景で作られているのであります。例えば、基本法の草案には「伝統を尊重し」という文言がありましたが、GHQの圧力で削除されたことは有名であります。GHQは、伝統を尊重するということが封建社会に戻ると考えたことによるものでありました。
 近来、学習指導要領改訂の中で、我が国の文化と伝統を尊重する態度の育成という文言が取り入れられるようになったことは大きな意義があるものと思っておりますが、その上位の教育基本法の中に、伝統、文化の尊重という趣旨が明確に示されていないために、教育現場は混迷を続けているというのが現状であります。
 教育基本法は、文字通り基本となる法であります。下位にある法律や制度の存立基盤でなくてはなりません。基本法は時代背景にあわせて、より良いものに脱皮していかなくてはならない使命を、根本原理として内包しているのであります。

 教育には,人格の完成を目指し,個人の能力を伸長し,自立した人間を育てるという使命と,国や社会の形成者たる国民を育成するという使命の両輪があります。個性の尊重は言うまでもなく大切でありますが、人との関わりの中で責任を持った人格に育て上げるという社会的側面も同じだけ大切なのであります。教育がそのどちらかに偏っては、不幸なのは子どもであります。自分勝手な行動は、結局自分に跳ね返ってきますし、個性を抑圧された人格は、そもそも生きている喜びを得られないということになるかもしれないからであります。国や社会は誰かに作ってもらうものではなく、その両方を兼ね備えた個々の国民による共同作業によって成り立っているのであります。

 中央教育審議会が2003年3月20日に出しました答申「新しい時代にふさわしい教育基本法」での基本法改正の方向を見てまいりたいと存じます。
 私が特に注目し評価する点を申し上げます。
 まず、心豊かでたくましい日本人の育成という点であります。たくましいという言葉から弱肉強食、強者の論理、弱者切り捨てという思想を導く人がありますが、心豊かでたくましい人間は、なにより不当な権力に対し自己の精神的強さをもって抗することが出来、道ばたに倒れた人を見たら、どんなに急いでいても見て見ぬ振りをして通り過ぎることが出来ない、いわゆる強きをくじき、弱きを助けるタイプの人間像だと思うのであります。心豊かでたくましい人間は弱者を保護でき、違いを認め合う寛容さを持ち、様々な状況にある人たちと共生できる人間なのであります。

 次に、社会の形成に主体的に参画する「公共」の精神、道徳心、自律心を涵養するとしている点であります。人間は社会的存在であります。個の尊重が声高に叫び続けられたあまり、おのれ一人で生きていると錯覚しているのではないかと思ってしまう人間も存在するようになったのであります。先ほど述べたことと同じく、個の尊重も、戦前の個の抑圧という時代背景から叫ばれたものでありまして、時代と共に個の尊重の意味合いが変わってきていることに留意しなければなりません。個の尊重に社会的規範を適用しないとすれば、それは自分勝手ということでありまして、他の個を尊重しないならば、自分の個も尊重してもらえないことをしっかり認識すべきであります。

 それから、日本の伝統、文化の尊重、郷土や国を愛する心と国際社会の一員としての意識を涵養するとしている点であります。私も経験したところでありますが、外国へ行って、彼の国の方から日本のことを聞かれるのであります。その時に自分がいかに日本の国の伝統、文化について知識をもっていないかということに愕然となり、顔から炎が吹き出すのであります。私だけではありません。戦後教育を受けた人ならみんな似たり寄ったりだと思います。公教育で、自分の国の伝統、文化についての基礎知識を教わっていなかったからであります。
 日本人としてのアイデンティティとは何かということを考えたことがあるでしょうか。イギリスのディテクション・クラブ〔イギリス探偵作家のクラブ〕初代会長ギルバート・ケイス・チェスタトンは、その著書『正統とは何か』の中で、伝統とは死者の民主主義であると述べております。伝統を引き継ぐことで、自分が何者であるか認識することができ、縦軸と横軸の人間関係があって初めて、自己が存在し得ることに気づくのであります。とりわけ縦軸、歴史の流れにつながることによって、自尊感情や誇りが生じるのであります。誇りは伝統の中にあるということを言わないで、どうして教育ができるのでしょうか。篠町の東部文化センターでは毎週、在日の韓国の方が自分たちの国の伝統、文化を受け継ごうといろいろな催しをされております。外国にいても、自分たちが韓国人だという誇りを伝統、文化を通して子孫に持たせるためにであります。
 自分を大切にしない人が、他人を思いやれないのと同じように、自分の国を愛せない人が、どうして他国を尊重できるでしょうか。他国を尊重するならば戦争など起こせる筈がないのです。平和の第一歩は自分の国を愛する心を育てることから始まるのであります。ちなみに国を愛する心とは統治機構を愛するという意味ではまったくありませんし、ましてや戦前の国体と結びつけることは政治的プロパガンダ以外の何者でもないと思うのであります。

 最後に、家庭教育と学校・家庭・地域社会の連携・協力を謳おうとしている点であります。
 教育は子育てと言われる段階から始まっております。家庭は社会の基盤であり、人生の一貫教育の場であります。しかし、核家族化、少子高齢化、女性の社会進出が進み、我が国の伝統的な家庭像が失われつつあることも事実であります。このような状況の中で、家庭の教育力が低下していることも考えておかなくてはなりません。
 家庭の教育力が低下している現状で、家庭に多くのウェイトを置きすぎるのは問題であります。そこで、学校、地域社会との連携・協力が必要になってくるのであります。家庭、学校、地域社会の三位一体の教育が実を結んでこそ、子どもが社会の中で独り立ちできる人間に育つことが出来るのであります。
 家庭教育を教育基本法で謳うと、国家が家庭へ土足で踏み込むことになると主張される方もいます。子どもの教育は第一義的には家庭が生活の基本を教えるということに異論がある人はいないと思います。しかし、家庭が正常に機能していたとしても、教育基本法が出来て57年、家庭教育を謳ってこなかった教育制度のもとで、あらためて、さあ教育の原点は家庭ですよと言っても、何をしたらいいのか理解できない人も多いに違いありません。事実、教育基本法の改正が議論されるのは、家庭での生活の基本が教えられていないと国民の多くが感じられているからなのじゃないでしょうか。

 教育基本法を変えると問題がすべて解決するのかというと、まったくそんなことは考えられません。なら、敢えて変える必要もないのではないか、現行法の理念をもっと実践すればいいのではないかという意見は傾聴に値します。しかし、施行以来57年ものあいだその理念を実践できなかったものが、いまそのままの形で実践出来るものではありません。国民の議論を経て、法律の存する時代背景の変化にあわせ、良い点は引き継ぎ、足りない点は補い、理念を実践に移す決意を新たにし、少しでも教育を良い方向に歩を進めることこそが今求められていると考えるものであります。
 未来を担う子ども達が、責任と自覚、そして何より夢を持って歩ける社会にするために、よりよき教育基本法となるよう願いまして私の賛成討論といたします。